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NTRモノ好きが映画『ドライブ・マイ・カー』を見た感想

原作・村上春樹著『女のいない男たち』既読。かなり好きな短編集である。

何を隠そう、これは村上春樹渾身のNTR短編集なのである。※主観です

私はNTRが大好きである。
その中の一編『ドライブ・マイ・カー』が映画化するということで行ってきた。

 

キャスト
家福悠介(寝取られ男西島秀俊
家福音(妻) 霧島れいか
高槻(寝取り男) 岡田将生

この時点でかなり期待値が高い。正直脚本や演出があれでも(しかもこの映画、3時間ある)このキャスティングだけで評価を補完でいそうだと思って鑑賞開始。

※ここから先は大いにネタバレを含みます

 


<あらすじ>
短編をどうやって3時間の映画に?と思っていたが、物語の主軸はドライブ・マイ・カー、そしてその他の短編の要素(というかちゃんと出てくるのは『シェエラザード』『木野』)を散りばめたオリジナルストーリー。


主人公の家福は舞台俳優である。『ワーニャ伯父さん』という戯曲の舞台に出演している。
妻の音は家福と寝た後、寝物語を語る。しかし、音は翌朝になると忘れてしまっている様子。その話を家福が語って聞かせ、リライトして脚本に仕立てていた。
ある日、仕事へ向かうフライトがキャンセルになり急遽家に戻ると、以前顔を合わせたことのある若い俳優(高槻)と妻が寝ていた。家福はそっと家を出る。
その後も妻から家福への愛情が変わる様子はなく、家福もそれに応える。その後深刻気な顔で「帰ったら話をしたい」と妻に言われる。しかし、その夜家福が家に帰ると妻は亡くなっていた。

妻を亡くした2年後、広島で行われる演劇祭の演出の仕事を請ける家福。そこでみさきが家福の運転手として働くこととなる。そして高槻と家福が俳優と演出家という立場で再会し、物語が進む。

 

 

<原作と違う点>※覚えてる範囲内
凡例) 原作 → 映画
妻    女優 → 脚本家(元女優)
亡き娘  生まれて3日後に死亡 → 4歳の時死亡
高槻    そこそこ年のいった俳優 → 若い俳優
サーブ(車)の色 黄色(妻が選んだ) → 赤
渡利が運転手になった理由 自身が出演する舞台に通う為 → 映画祭期間中に事故を起こされると困るため(緑内障の描写は共通)

 

あとは何から何までオリジナルストーリーです。

 

 


感想


とにかく画がいい!!!
俳優さんだけのカット、車内のカット車窓のカット、空から車を映したカット、どれととっても美しい。季節が秋~冬だったのもよかった。美しい。
そして私はロードムービーが大好きなので、車に乗るシーンの多さに大満足しました。そして3時間という長い映画にも関わらず飽きずに見れる。これはシンプルな音楽と凝った画のおかげな気がする。もちろんゆっくり物語が進んでゆく脚本もいい。
そしてせりふ回しが「THE・村上春樹」って感じの脚本でゾクゾクしちゃった。


渡利みさき役の三浦さんが最高でした。
みさきのぶっきらぼうさ、踏み込んでこない優しさみたいなものがにじみ出ていた。男物のツイードのジャケット(原作通り)が似合ってた…。
高瀬が家福の車でポツポツと心情を吐露するシーン、涙に目を滲ませる岡田将生くんが美しすぎてヤバかった。
そして西島秀俊の使い方が…うまい!ちょっとくたびれた感じの中年感がサイコー。めちゃめちゃかっこいい。

ストーリーは原作とは大きく違うが、原作ファンも結構納得する出来だと思う。

 

 


登場人物『他人を理解したい』という気持ちが、多言語で行われる舞台とリンクしているようだった。
はじめ家福はみさきの運転する車の後部座席に乗っているんですが、物語後半からは助手席に座るようになり、ラスト近くではみさきとタバコを吸いながらドライブします。これが心の距離が縮まっていくようでとても良かったです。
サンルーフに手を伸ばしてタバコを空に掲げるシーン、単純に車内に煙が篭らないようにする意図なんでしょうけど、なんだか発煙筒のようにも、お線香のようにも見えてとても切なかった。

高槻は「相手をもっと知りたいから寝る」と言っていた。彼は家福を飲みに誘った。オーディション中、相手役に詰め寄り強引にキスをした。無断で写真を撮った見知らぬ男を殴った。とにかく言葉よりも体が先に動く人間なんだろう。
なんだか、家福の対極にいる人間だと思った。家福は妻の浮気も見ぬふり、川底のヤツメウナギのようにじっと時をやり過ごしているように見える。現実から目を逸らしやり過ごそうとした結果、倒れた妻の発見も遅れてしまったと、家福は婉曲的に表現していた。

家福はずっと妻の死と正面から向き合わず、じっとやりすごしているように見えた。しかし、彼に必要だったのは『正しい惜別』だったのだと、ラストシーンをみて思った。

みさきの「奥さんはあなた以外とも寝た。でもあなたを愛している気持ちも本物だった。そう思うことはできませんか」みたいな台詞が良かった。
人間にはいろんな面がある。職場での自分、家族の前での自分、友人の前での自分、愛する人の前での自分。どれも演じ方が違うけれど、どれひとつ「偽りの自分」はいない。全部本物の自分である。音が他の男と寝るのも、そういうことだったんだと思う。
ずっと寡黙でこちら側に踏み込んでこないみさきが、最後家福へ歩み寄って抱きしめたところが意外でもあったし、彼女の優しさの表れでとしての納得でもあった。

 

 

切ないけれど穏やかに満たされる、そんな映画でした。
配信開始したらまた見たいな。

 

 

 NTR好きからの観点

「好きな男の子の家に不法侵入する女子高生の話」に続きがあることを、夫である自分が知らなくて、浮気相手の高槻だけが知っていることを知らされるシーンが一番胸アツだった。
だって家福は身体のつながりより精神的なつながりを大切にしている人だと思うので(妻からの愛を信じている、妻が吹き込んだ戯曲のテープを大切にしている)寝物語の一部とはいえ自分以上に彼女を知っている人がいるという事実は、かなりショックで腹の中が煮えちゃうんじゃないかな。そんな場面でも家福はつとめて冷静だったので、私は尚更興奮してしまいました。
高槻の証言も出まかせではなく本物っぽいところもポイント高い。彼は俳優だからそれっぽいことをさも本物のように語ることも可能なんだろうけど、みさきが「彼の言うことに嘘があると思えない」と言っていたから、多分そうなんでしょう。
それまでずっと「妻と高槻の関係は知っている、でも高槻はそれを知らない。妻は既に死んでいて、家福悠介の妻は音である事実は一生揺ぎ無い」というスタンスだっただけに…感慨深いですね!!!

音視点の話になりますが、高槻と寝てるときは感じまくってる顔をしていたのに、その時と同じ場所で同じ体位で家福と寝ている時は真顔だったのもよかった。その真顔の意味は、「高槻と寝たの、バレちゃった…?」でも「今日はイマイチ気分じゃないのよね」でもどっちでもいいんです。とにかく、どちらの表情も彼女の『本物』であることに違いはない訳で…。良い。人にはいろんな面がある。

 

 


小ネタ


北海道(初冬)に行ったシーン、車のタイヤはどう考えてもノーマルタイヤのままだと思うんですが大丈夫だったんですかね…? 雪積もってましたが…

 

そして最後の最後、韓国に渡ったみさきの姿、どう考えてもアフターコロナの世界だったので切なかった。同時に、この物語と私たちの生活が地続きであることを示唆しているような気がした。