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アニメやマンガの雑記ブログ

「N/A」で感じたズレと違和感

年森瑛「N/A」の話をしていいですか?

2回目を読み終わった。本当に面白い。
親友でもなく、恋人でもない「かけがえのない他人」=「がまくんとかえるくんや、ぐりとぐらのような、お互いの中だけにある文脈を育んだ、二人だけの唯一の時間が流れる関係性」に憧れる主人公をとりまく人間との物語。この物語では多くのズレと違和感が描かれている。そのズレは主人公のまどかから見たズレであり、他者からは理解されない。寄せられる言葉はまどか自身に向けられるのではなく、「まどかに当てはまるだろう属性」へむけられる「定型文」ばかり。そんなやりとりが続くため、まどかは「これ以上言っても無駄」だとばかりに、自分にあてはめられた記号のなかで自分が傷つかないよう条件反射的に、外界に自分を最適化した振る舞いをする。

そんな主人公の感じた違和感とズレを内容を整理するような形で、自分の感想をまとめていきます。


「Sea」への違和感

SeaはうみちゃんのHNです。「会うたびに好きになる」「あどけない寝顔に泣いてしまった」「同じものを食べて、一緒にわらって、同じお布団でねむれるだけでいいのに、難しい」というポエミー・意味ありげな投稿。フォロワーからチヤホヤされたいがための投稿にも見える。リアルでは「私と付き合ったら絶対面白い」としか言われず、具体的な好意は作中では描写されていない。女子高で周囲に王子様として担がれたのと同じように、うみちゃんもまた「中性的なまどかの体」を利用したのではないか?と勘ぐってしまう。「パートナーさんが身バレしました」という理由でSNSに鍵をかけたときも「嬉しい言葉を贈ってくれたフォロワーさんに申し訳ない」と言っていたし。(L)GBTの象徴になりたかったのかもしれない。この時点ではまどかを通した自分がすきなんじゃん、と思った。

まどかがこんな風に思ったのか分からないけど、きっとそれに似た気持ち悪さ(≒作られた自分へのうみちゃん・フォロワーからの崇拝にも似た感情)を感じ取って、一気にうみちゃんが無理になってしまったのかなと思いました。結局、人間「誤解される/分かってもらえない」のが一番つらいんだろうなと思った。
でも、「同じものを食べて、一緒にわらって、同じお布団でねむれるだけでいいのに」という願いはまどかの憧れる「かけがえのない他人」に望むものと近い願いであり、違いと言えば「恋愛感情の有無」くらいなのも、ちょっと皮肉なものだと思った。

他者→まどかへの誤解

母親からの誤解

まどかは「生理を止めるために食べない」のに、母親は「食べないから生理が来ない」と思っている。つまり母親が解決したいのは拒食。だから瘦せぎすな体について触れずに「(生理は)内臓のことだから、心配だよ」と声を掛けたりする。まどかは保健室の先生から「生理は汚くない」「生理は恥ずかしいことではない」と言われたようだし、母親もおそらくそのことを知っているだろう。「まどかが生理を嫌悪している」ことは何となくは知っている(だろう)からこそ、まどかは真にわかってもらえないことにがっかりしているのかもしれない。

うみちゃんからの誤解

まどかが「別れて」と言ったのは、LGBTに対する社会の抑圧に負けたからだとみなしている(別れたくなった原因がうみちゃん自身でなく、社会にある)

「うみちゃんの後ろにはいっぱい『仲間』がいてうみちゃの輪郭とまざりあってる」「自分はやっぱりだれとも属せず、ひとりぼっち」「うみちゃんは自分のことをわかってくれない」と察知した瞬間、明確に相手を傷つける言葉を選び、相手を突き放すまどか。この0か1かの思考、めちゃくちゃわかる。「高校生だとまだわからないかもしれないけどこういうところで人間性が出てしまうから気を付けた方がいいよ」ってめちゃくちゃブーメランなんだよな…うみちゃんはそれを言われると自分が傷つくから、まどかにダメージを与えるためにぶつけている。悪口は自分の鏡…

フォロワー→「Seaのパートナーさんとしてのまどか」への誤解

うみちゃんのフィルターを通した自分が「パートナーさん(まどか)」として固定されている。まどか的には全然納得がいかない。ぐりとぐらみたいな関係じゃないのに、勝手に理想像にしないでほしいと思っている。

これはなぁ…いい部分だけを無断で切り取られて、勝手に神格化されるのは気持ち悪さしかないよね。

翼沙からの誤解

めちゃくちゃ配慮しながら「まどか=LGBT」の想定で話をしている。まどかは「かけがえのない他人」が欲しいのであってLGBTではない。

でも個人的には翼沙の対応が一番誠意があったと思う。「もしちがったら忘れてほしい」と前置きしながら、「無断でSNSに写真を上げられてるかもしれない」とものすごく申し訳なさそうに、かつかなり心配そうにSeaのアカウントについて教えてくれたのだから。このまま晒され続けていたら怖いことになっていたかもしれない。後述するが、教師からの叱責への態度も、オジロ(友人)への態度も、毅然としていて、芯があって、かっこよかった。

まどか→他者への誤解

うみちゃんへの誤解

「うみちゃんが自分とヨリを戻したがっている」と思い込み、追いかけてくるうみちゃんによそよそしくしたり「ヨリを戻すとかないですから」と告げたりした。うみちゃんに「そんなわけないじゃん」と一喝されたまどかは、自分が愛されるべき対象であると思い込んでいたことに恥ずかしくなったんじゃないかな。

誤解…かもしれない

・祖母の心配はこころからまどかを心配したもの
・叔母と母は単なる親戚同士で「ぐりとぐら」のような関係とまではいかない



作中で誤解・配慮され続けたまどかだったが、まどかもまた、「親族がコロナに罹患した友達」へ配慮しようとする。しかし、その手立てが分からず配慮の言葉を探そうとするが、検索でヒットする定型文は保守しか生まず、革命を起こせないことを気づく。主人公が保守される側から革命を起こそうとする側にまわろうとするが、何もできずに終わるのがいいですね。自分に起きたかけた革命(うみちゃんに別れを告げる)に対しては光の速さで守りに入れたのに、それが出来ない。うみちゃんとの再会しかり、ラストで自分がいちばん他人を属性で見ていたことに気づくのがいいですね。私はここの翼沙の「検索に頼らずに、自分の気持ちを正直に伝える姿勢」にぐっときました。


ラストの早口でしゃべるうみちゃんについて

いままで「恋人」として接していたうみちゃんは「まどか用のうみちゃん」だったのかもしれないし、まだうみちゃんに恋している気持ちを隠すための強がりのあらわれかもしれないが、まどかにも、読者にもそれを知る由もない。



このように作中ではズレと違和感がたくさん描かれてきました。しかし、ズレを感じているのは恐らくまどかだけではありません。友達も、家族も、外界とのズレを認識していて、そんななかで傷つかないように、傷つけないように、時には感情を飲み込みながらうまくやっているわけです。その折り合いの付かなさと諦念が全体を通して漂っているようでした。その光景を俯瞰してみていると、まどかが抱えているしんどさも特別なものではなくてもしかしたらありふれたものなのかもしれないのかも、と思いました。そのやるせなさを感じるのは曲げられない信念を持っているという事実の裏返しなのかもしれません。

タイトルの「N/A」は該当なし(not applicable)を意味する略語。拒食症の女の子にも、LGBTにも、どこにも属さないまどかの拒絶を表す一方で、属性の枠組みから外れた「かけがえのない他人」への希望、そして定型文を探そうとして見つけられなかったまどかをまどか自身に突き付ける名タイトルだなと思いました。


個人的な感情の話をすると、自分が「恋人に内緒で恋人の一部を移りこませた写真をSNSにアップする人」が無理なので初読からうみちゃんを「あっヤなやつだ」と思った。作中を通して女子高しぐさの描写がうまい。「(人前で)血を流すとはずかしい、それで優しくされるのはもっと恥ずかしい」恐らく多くの人が感じたことのある感情を見事に言語化してる。

この話を読んで、まどかをアロマンティックやアセクシャルとカテゴライズするのはナンセンスだと思う。この話の本質はそこではない。
日々感じている小さな諦念の、根底にある信念を深く自覚するようなそんな話だった。とにかく面白いのでぜひ一読を。